「病的ではない幻覚」について2015年04月19日 12:47

ここ数年で、精神科の医師の仕事をかなり減らしていっている平田だが、精神科医師としての経験もある者として、はっきりと述べておきたい事柄がある(ここ1-2年で、はっきり述べておきたいと、より思うようになっている事柄がある)。

「幻覚」と呼ばれるような現象を、精神医学は、必要以上に(過剰に)、「病的」なものとして取り扱う傾向を持っている。そして、その傾向は、省みられ改善される必要がある。

私自身は、(精神医学的な枠組みの中では)「幻視」と呼ばれ得るような体験をしている人が、「病的」ではないという体験を何度もしている(そのような人々とお会いする体験を何度もしている)。「健康的」に、「幻視」の体験を、自分自身の体験として、自分のものとしている人々がいる。(そのような人々は、精神科医の前に、「患者」として現れることも少ないと思われるが。)

これから、精神科医は、「幻覚」と呼び得るものを体験している人と出会ったときに、その「幻覚」体験が「病的」なものであるのか(=精神科的な「治療」が必要なものであるのか)、それとも「病的」なものではないのか(=その人が、「健康的」に、その体験を、自分自身のものとして取り入れることができるものなのか)を見極めようとする姿勢が、これまで以上に必要とされるだろうと(私は)思う。

「幻覚」と呼ばれるような体験をしている人が受診してきたときに、その訴えを聞いて、安易に、従来の精神医学の枠組みに従って、「精神病圏」「統合失調症(圏)」という分類で捉えることは、これまでよりも、控えたほうがよい。
むろん、「良心的」でスキルのある精神科医なら、「幻覚」体験をしている人が受診してきても、その「幻覚」に、「病的」要素がないことを見て取れ、「不必要」な精神医学的介入を行なうことはしないだろうが。(不必要に、抗精神病薬等を処方することもしないだろうが。)

「幻覚」と呼ばれるような体験は、「幻覚」を体験している当の本人にとっても、未知の体験であることが多く、困惑、当惑、さらには、恐怖を感じることも多い。その、困惑、当惑、恐怖のために、精神科を受診してくることもあり得る。
その際、精神科医達は、そこで表現されている、「困惑」「恐怖」の性質を、きちんをアセスメントする必要がある。
単に「未知の体験だから」という理由だけによって「困惑」「恐怖」を感じているのか、それとも、その「幻覚」自体に自我違和的な性質があるのか(「幻覚」自体が困惑や恐怖をinduceする質のものなのか)という点について、少なくとも、アセスメントする必要がある。
精神科医達は、そのようなアセスメントを行なえる必要がある。
さらに、そのアセスメントを行なった上で、「幻覚」が「病的」なものでない場合には、精神科医達は、本人に、そのことについて、心理教育を行える必要がある。本人自身が、必要以上に、「自分が病気なのではないか」と思い込んでしまわないような、心理教育を行える必要がある。

その意味では、精神科医達にも、ある程度の「スピリチュアル」な知識が必要とされると言ってよいだろう。
(日本でも、ある地域では、このことが、多少なりとも、認識されているだろうか? 沖縄のある地域では、精神科医が、受診者を、ユタに紹介することもあると聞く。)

もちろん、現段階の第三密度のリアリティの中では、「病気」という状態になり、薬によって症状を軽減することを必要とする人達も(まだ)いる。そのような人々には、従来的な、精神科医として適切な対応をすることも必要だろう。(私は、現段階で、「薬物療法」の意義を全否定するつもりもない。)

Collective Consiousness(集合意識)と呼び得るようなものは、(あるレベルにおいて)たしかに存在する。
「集合意識」という概念を持っていない精神科医達でも、ここ20年~30年精神科医の仕事を(ちゃんと)してきた者であれば、受診してくる人達の呈する、「精神疾患」の状態像が(collectiveにみた場合に)、ずいぶんと変化していることには、同意されるだろう。

→「解離性」と呼ばれる状態を呈する人達が、(また)ずいぶんと増えている。
→一時期、あれだけ目にすることの多かった「境界性パーソナリティ障害」と呼ばれる状態を呈する人達とお会いすることが、かなり少なくなったことに、多くの精神科医達が同意されるだろう。
→「自閉症スペクトラム」と呼ばれる状態を呈する人が、明らかに、増大しているだろう。
→「統合失調症の軽症化」も、明らかな現象である。

私は、「集合意識」の変化が、「精神疾患」と呼ばれるものの状態像の変化としても(集合的にみた場合には)、表れてくるのだろうと考えている。多くの人達が呈する「精神現象」の変化として、表れてくるだろうと考えている。

その意味で、ここ最近の変化、そしてこれからの変化として、「病的ではない幻覚」を体験をする人々が、増えていくだろうと、私は思っている。
(「集合意識」が変化しているので、その表れとして、「病的ではない幻覚」と呼び得るものを体験する人々が、増えてくるだろうと思っている。)
(「病的ではない幻覚」は、「精神疾患」の範疇ではないわけだが。)
そして、それは、現在、「スピリチュアル」という名称で呼ばれているような枠組みで、把握することが適切な現象であるだろう、と私は考えている。

「幻覚」と呼ばれるものをどう捉えるかについて、一言述べておきたいと思い記した一文である。
心ある精神科医達には、このことを、心に留めておいていただければ有り難いと思う。