「当事者性」2017年08月13日 12:36

『私はこうしてサバイバルした』という出版物が、出ました。

こころの科学増刊
『私はこうしてサバイバルした』
日本評論社
松本俊彦 斎藤環 井原裕 監修

友人の精神科医の林直樹さんが1章執筆しています。
(ちなみに、同名の精神科医が2名(以上)います。)

(私も「ゲイである」という「当事者性」を特に「隠す」ことなく仕事をしていますが)
林さんも、ご自身の担当している章で、当事者であることの意義について語っておられます。

メンタルヘルスの専門家は、
どこか、「当事者性」を持っているがために、
メンタルヘルス専門家という仕事を選んだという人が、少なくないと思います。

最近、「当事者性」をある程度オープンにしながら、仕事をしている精神科医に出会うことが(書物上で、ですが)以前よりも増えたように思います。

ご自身が発達障害であることをオープンにしながら仕事をしている精神科医の方々もおられるし、
ご自身が性被害の当事者であることを本の中で書いている精神科医の方もおられます。

メンタルヘルスの専門家が、当事者性をオープンにする場合、
自身の「当事者性」と、ある程度、すでに折り合いがついていることが必要とされますよね。

おそらく、
「当事者性」を「隠そう」という姿勢を持つよりも、
(そうすることが、自然だと思える場合には)自分の「当事者性」もオープンにしながら、仕事をしている精神科医のほうが、よい仕事ができるだろうなと(私は)思います。
そのほうが、より、therapeuticな姿勢のある精神科医になるだろうと思います。

精神科医や心理カウンセラーは、
診療やカウンセリングの場で、(自身に関係する情報を、患者やクライエントに(必要以上に)語らずに)「中立」であることが必要だ、と言われることがあります。
その観点を否定するつもりもありませんが、
自らの「当事者性」もオープンにしながら、なおかつ、「中立」な雰囲気を持っている精神科医のほうが、より、therapeuticな姿勢のある精神科医になるだろうと私は思います。

(別に、「当事者である精神科医」の方々に、カミングアウトを強制しようという目的で、この記事を書いているわけではありません、念のため(苦笑))

(もちろん、
「当事者性を持つ精神科医」=「よい精神科医」
というわけでもありません、念のため。)