「セクシュアル・マイノリティ支援のための連続講座」2013年07月30日 05:35

7月28日は、大阪のQWRC主催の「セクシュアル・マイノリティ支援のための連続講座」にて講師をしてきました。
http://qwrc.exblog.jp/20455202/

架空事例について小グループでディスカッションをする事例検討を主に、研修を行ないましたが、参加者のみなさん、熱心に考えて下さり、色々と発言もして下さり、私にとってもinspireされる(刺激になる)&encourageされる(励みになる)研修会になりました。
参加者の皆様、スタッフの皆様、お疲れさまでした!&ありがとうございました。

「男色」が「同性愛」へと変わったわけ (「色」が「恋愛」へと変わったわけ)2013年07月23日 22:20

 先日、日本における同性愛の歴史について講演をする機会があって、少し日本における「恋愛」概念の歴史について調べてみました。調べてみて、ちょっと思ったことがあったので、それをここで(断片的ですけど)ちょっと書いてみます。

■「セクシュアル・マイノリティ」(セクマイ)について語るとき、「ゲイ」とか「ジェンダー・アイデンティティ」とかやたらとカタカナ語ばかりを使わざるを得ない日本の状況に、「これってなんでこうなってるんだろう?」と、私は何年か前から結構疑問を抱くようになっていました。
 歴史の、ある時点で、日本は「(昔からあった)日本語」を失ってしまったのですね。
 で、失われた日本語の代わりに、カタカナ語(や翻訳語)が跋扈する状況になっていったのですね。

■古川誠さんや前川直哉さんや三橋順子さんの著作を読んでみるとわかりますが、日本において、セクマイ(と現代において呼ばれるようになった人々)に対して「強い」差別や偏見が生じたのは、日本が明治時代以降、西洋化されたためであります。当時の西洋文化にinherentであった性(セクシュアリティ)に対する偏見が、「文明開化」以降、日本に導入されたためであります。江戸時代までの日本では、近代化以降ほどの強い差別や偏見がセクマイに対して向けられることはありませんでした。
 西洋化に伴って、日本はそれまで独自に培ってきていた(育んできていた)様々な(日本独自の)「精神性」の所産を抑圧したり否認するようになってしまったようであります。

■比較文化学者の佐伯順子さんは、「江戸時代の日本では、男女間、あるいは同性間の好意を表現するのに、主として『色』や『恋』や『情』といった言葉を使っていた」と述べ、「今私たちが当たり前のように使っている『愛』や『恋愛』という言葉は、明治になって、英語の『ラブ』という言葉の翻訳語として使われ始めたものであり、『文明開化』の日本にふさわしい新たな男女の関係(※『文明開化』以降は、「同性間」の関係は考慮されなくなっていくのでしょうね)を表現するという、輝かしい期待を担った登場した言葉であった。それは、江戸時代以前に日本が使っていた『色』や『情』という表現とは異質なものとして、『西洋』への憧れと一体となって、明治人の心を魅了したのである」と述べています。

■「同性愛」という日本語自体、大正時代につくられた翻訳語であり、それ以前の日本では「男色」や「衆道」という言葉が男性同士の(性愛を伴う)関係性を指すのに使われていました。
 佐伯さんの言う、「色」→「愛」への移行をここにも見つけることができます。
 佐伯さんは、「文明開化」当時の「恋愛」の概念の特徴を、(従来から日本にあった)「色」と対比して、次のように示してくれています。

→「色」は「一対多 または 多対多」であるのに対し、「恋愛」は「一対一」。
→「色」は「肉体関係を肯定」するのに対し、「恋愛」は「肉体関係を排除」し「精神的関係を賛美」する。
→「色」は「結婚外」の関係であり得るのに対し、「恋愛」は「結婚内」の関係を指す。
→「色」は「非日常」の世界の出来事であるのに対し、「恋愛」は「日常の生活」ともつながっているもの。

(※「恋愛」については、現代人が使うニュアンスとちょっと異なる部分もあるように思いますが)

■日本の歴史について調べていて私が思ったのは、現在の日本は、西洋化される以前の日本のことを(日本の精神性を)「ちょっと忘れすぎ」じゃないかと思います(もちろん「昔」の日本にそのまま戻る必要はないし戻ることもできないでしょうが)。おそらく「文明開化」時に、それまでの日本の文化を否認したり抑圧するような動きが生まれざるを得なかったのでしょうが。
 心理臨床家ならわかることでしょうが、幼少時の記憶を抑圧したり否認したままの状態で、青年期や成人期を迎えた個人は、どこか脆弱性を持っていたりunhealthyな様相を呈したりすることがあります。自分のoriginをしっかりわかっていて、自分のoriginにしっかりと根ざしている感覚を持つ個人のほうが、「強さ」を備えた大人に成長することが多いと思います。
 日本という国は、「文明開化」以前に千年以上続いた自らの「精神性」の本質を、抑圧したり否認したまま、近代以降の時期を、闇雲に突き進んできているのではないでしょうか。自らの「精神性」のorigin(基盤)をどこか見失ったまま突き進んできているのではないでしょうか。
 西洋文明を導入したことはわるいことではないでしょうが、西洋文明の導入と同時に、日本に昔からあった精神性をちょっと失い過ぎた面もあるのではないでしょうか。
 否認され抑圧され萎縮してしまっている、ずっと日本にあった(今でもあるはずの)日本の「精神性」を(再度)認め、おもてに顕すことは、たぶん、現代の日本に住まうセクマイ達にとっても益になり得ることなんじゃないかな、と私は思います。

■米国人とは違い、 “I love you”「愛してる」なんて言葉がなかなか日常語にはなり得ない日本人は、西洋から輸入された「恋愛」とは異なる「お付き合い」の仕方を、(異性との間にも)同性との間にも、築き得る素地があるんじゃないのかな?
 なんてことを考えたりしました。

医者(と製薬会社)の慣習 医者の文化2013年07月06日 00:15

製薬会社のMRと呼ばれる人たちとの関わりが、どうも私は苦手だったので、医者になってから十数年、これまであまり接してこなかったのだが、去年から、一つの勤務先にて、接触する必要性が出てきた。たまに会って話すようになった(MRとは、Medical Informant: 薬の情報を医師に伝える役目の人、という意味なんでしょうね)。

すると、やはり、「なにこれ??」と思う出来事が起こったり、
ほかの医者たちとの感覚のギャップを感じるので、やりにくい。


先日、製薬会社から、講演を頼まれた。
この講演の中で、その製薬会社が出している薬の副作用については、触れないようにと、言われた。
かなりビックリした。
そんなことが言えてしまう、MRという存在は、一体何なのだろう??

無論、これはその(若い女性である)MR個人の問題というよりも、製薬会社全体(ひいては、おそらく、そのような発言が言うことが許されてしまう雰囲気のある「医者―製薬会社の文化」)の問題であろう。

そのことを、ほかの同僚の医者に言っても、(やはり)それほど大きく「問題」だとは思っていないリアクション。

こういう「ノリ」には、ついていけないと思う。

やはり、(これまでと同じように)「医者」たちにはついていけないと思う。

医学生の頃から感じていた、医者的文化への「不適応」は、ずっと続くのだろう。
いまや、「適応する必要はない」と思っているが。

「医者文化」を変えることが、私の(生涯をかけて)やりたいことではないので、「医者」たちとは、離れたところで、離れた仕事をしながら、やはり私は私のやりたいことをやっていこうと思う。

「いい人」であっても、このへんを「問題」だと感じる医者は(かなり)少ないと思う。(それが私の印象。)
(むろん、ごく少数、そうではない医者もいる。)

このブログでは、いわゆる「陰謀論」と呼ばれるものまでつなげることはしないが、自分が「まっとうな感覚」だと思う感覚を維持しながら、日々の生活をやっていきたいと思う。

「日本における同性愛の歴史と現在」2013年06月02日 17:41

6月1日、駒澤大学で開催された「東洋思想と心理療法研究会」にて講演。タイトルを「日本における同性愛の歴史と現在」なんていう、大上段に構えたタイトルにしてしまい、めっちゃ後悔 (^^;
しかし、まあ、ほぼ徹夜して、なんとかきくに堪える内容には仕上がったと思う。

現代の日本における、セクシュアル・マイノリティに関する概念や考え方は、多くが「西洋」社会から輸入されたもの。
カタカナ語が多い。
しかし、「西洋」とは異なる、日本の土壌・風土というものも(「セクマイ」に関しても)あるだろうと思うので、そのへんの話をしたかった。

主に古川誠さんと前川直哉さんの研究をもとにして(あ、三橋順子さんのも)、ちょっとばかし臨床の話も加え、まとめてみた。

講演では触れなかったが、南方熊楠の、「(今でいう)セクマイ」へのまなざしは広く深い。すごい!と思う。
日本にこのような大物がいたことは(熊楠は、色々な面ですごいが、「セクマイ」についての彼の思想についても)もっともっと知られるべきだ。