「セカンド・カミングアウト」その22014年08月01日 01:48

前回の記事の続きです。

自分が、いわゆる(世間で言う)「スピリチュアル」と呼ばれているような事柄に、心理カウンセラーとして、興味を持ってきているという話を(前回の記事で)書きました。

前回の記事で、すでに「ついてこれなくなっている」人もいるでしょう。
そういう方々は、今回の記事を(無理して(笑))読まなくてよいと思います。

前回の記事で、まだ「ついてきている」人は、一度、ご自身で「チャネリング channeling」というキーワードで、YouTubeの動画などを検索して、ご覧になってみるとよいと思います。
→そこで、さらに、「ついてこれなくなる」人と、「ついてこれる」人に分かれていくかと思います。
(前回の記事で述べたように、「スピリチュアル」に関する情報は玉石混交です。ヘンな情報にあたっても、そこですぐに止めずに、「しっくりくる情報」がないかどうか(意思が続くかぎりは)さがしてみられるとよいと思います。)

英語のできる人は、英語の情報もみてみることを、ぜひお勧めします。
(日本語の情報は限られています。(が、同時に、ちゃんとした情報もそこそこあるとも言えますが。))

「スピリチュアル」な情報でも、どんな情報がしっくりくるかは、その人その人によって異なると思います。
ので、私から特に「オススメ」の情報を伝えるのは、今のところは、やめておこうかとも思ったのですが、それではあまりにつれないので(笑)、ひとつ(おひとり)だけ挙げておきます。

エックハルト・トールさん
Eckhart Tolle

の語っていることは、言葉づかいはシンプルなのですが、とっても本質的なことを語ってくれていると思います。(ヘンに「スピリチュアル」というものだけに限定されないような、普遍的に大切なことを語ってくれています。)
(敢えて、いわゆる「チャネラー」という扱いにはなっていない人物を選んでみました。)

自分は、7-8年前ぐらい前までは、「チャネリング」などと呼ばれるものは「うさん臭い」とどこかで思っていました。その内実をちゃんと見聞きしたこともないのに、「偏見」をもって捉えていました。

いくつかのきっかけがあって、YouTubeで「チャネリング」の動画をみるようになり、中には、びっくりするぐらい「良質」の内容があることに、心底驚きました。

「チャネリング」をしている人物の知識・能力の範囲内では、どうしたってしゃべることができなさそうな「高度な内容」が、語られている例をいくつも見聞きしました。

「チャネリング」によってメッセージを伝えてくる「存在」には(いわゆる「亡くなった人」だけではなく)、様々な「存在」があり得るらしいということも知るようになりました。
(同時に、「ちゃんとした」チャネリングにおいては、通常、「私がどんな存在であるかは重要ではなく、私の伝えるメッセージが、貴方にとって、意味があると感じられるかどうかが大切なことだ」というような趣旨のメッセージも伝えられる、ということも知りました。)

心理カウンセラーである自分にとって、非常に勉強になる「チャネリング」のメッセージもあります。

例えば、ある「チャネリング」では、質問者が、自分のみた夢の内容について、(「チャネリング」でメッセージを伝えてくる)「存在」に対してたずねた際、、ユング心理学の熟練の分析家もびっくりするぐらい、見事な「夢分析」を、その「存在」が返してきていました。(その「存在」は、何度か、そのような「見事な夢分析」を披露してくれています。)
(深い「夢分析」は、一朝一夕で真似して出来るようになる代物ではないので、しゃべっている「存在」が何者であれ、「タダ者ではない」ことがわかります。)

また、その存在は(英語圏の「チャネラー」がチャネリングしている存在なのですが)、"story"の重要性についてしばしば語ってくれます。(ここで言われている"story"は、日本語に直すならば「物語」や「おはなし」という日本語に相当することが(その「存在」の語りをきいていると)わかります。)
そのメッセージをきいていると、それは、日本の臨床心理学者の河合隼雄さんが「物語」という表現で語っていたことを、さらに進化(深化)させた内容であることに気づかされます。そのことに気づき、非常に驚かされたとともに、(ユング心理学への指向を持つ私にとって)とても深い学びになりました。

上述したように、「チャネリング」をしている人物のバックグランド・知識では知り得ないような「高度で」「深い」内容のメッセージが、「チャネリング」のメッセージでは語られることがしばしばあります。
上述の「チャネリング」をしている(英語圏の)「チャネラー」さんも、河合隼雄さんの「物語論」を知っているはずがないと思います(河合隼雄さんの「物語論」の本質を捉えている語りでした)。

そのような体験をしてきたため(なにも知らずに、「チャネリング」というものに偏見を持っていた数年前の自分とは異なり)、今の自分は、「チャネリング」というものは、ふつうにあり得るものなのだ、という認識を持つに至っています。

そのことはすなわち、これまでの人間の「通常の」知覚では知覚され得なかった、物理的肉体を伴わないような「知的な存在」(目には見えない「知的な存在」)があり得るのだということを認める、ということにもつながってしまいます。
(このことについてはまた機会をあらためて、詳しく述べる必要があるかもしれませんね。)

「偏見」が強くない人は、ここまで私が書いてきたことを、もしかしたら、追体験されて、これまでのご自身の世界観ではあり得なかった、びっくりするような新たな認識を得られるかもしれません。(私自身は、びっくりするような新たな認識を得たという感じがあります。)
(別に、「ヘンな道」に、無理やり勧誘しようとしているわけではありません(笑)。)

次回、どのような内容を書こうかなとちょっと迷いますが・・・・
→実際に、私にとって学びになっている「チャネリング」の具体的なメッセージの内容について、そのうちに、書いてみようかとも思っています。