「男色」が「同性愛」へと変わったわけ (「色」が「恋愛」へと変わったわけ)2013年07月23日 22:20

 先日、日本における同性愛の歴史について講演をする機会があって、少し日本における「恋愛」概念の歴史について調べてみました。調べてみて、ちょっと思ったことがあったので、それをここで(断片的ですけど)ちょっと書いてみます。

■「セクシュアル・マイノリティ」(セクマイ)について語るとき、「ゲイ」とか「ジェンダー・アイデンティティ」とかやたらとカタカナ語ばかりを使わざるを得ない日本の状況に、「これってなんでこうなってるんだろう?」と、私は何年か前から結構疑問を抱くようになっていました。
 歴史の、ある時点で、日本は「(昔からあった)日本語」を失ってしまったのですね。
 で、失われた日本語の代わりに、カタカナ語(や翻訳語)が跋扈する状況になっていったのですね。

■古川誠さんや前川直哉さんや三橋順子さんの著作を読んでみるとわかりますが、日本において、セクマイ(と現代において呼ばれるようになった人々)に対して「強い」差別や偏見が生じたのは、日本が明治時代以降、西洋化されたためであります。当時の西洋文化にinherentであった性(セクシュアリティ)に対する偏見が、「文明開化」以降、日本に導入されたためであります。江戸時代までの日本では、近代化以降ほどの強い差別や偏見がセクマイに対して向けられることはありませんでした。
 西洋化に伴って、日本はそれまで独自に培ってきていた(育んできていた)様々な(日本独自の)「精神性」の所産を抑圧したり否認するようになってしまったようであります。

■比較文化学者の佐伯順子さんは、「江戸時代の日本では、男女間、あるいは同性間の好意を表現するのに、主として『色』や『恋』や『情』といった言葉を使っていた」と述べ、「今私たちが当たり前のように使っている『愛』や『恋愛』という言葉は、明治になって、英語の『ラブ』という言葉の翻訳語として使われ始めたものであり、『文明開化』の日本にふさわしい新たな男女の関係(※『文明開化』以降は、「同性間」の関係は考慮されなくなっていくのでしょうね)を表現するという、輝かしい期待を担った登場した言葉であった。それは、江戸時代以前に日本が使っていた『色』や『情』という表現とは異質なものとして、『西洋』への憧れと一体となって、明治人の心を魅了したのである」と述べています。

■「同性愛」という日本語自体、大正時代につくられた翻訳語であり、それ以前の日本では「男色」や「衆道」という言葉が男性同士の(性愛を伴う)関係性を指すのに使われていました。
 佐伯さんの言う、「色」→「愛」への移行をここにも見つけることができます。
 佐伯さんは、「文明開化」当時の「恋愛」の概念の特徴を、(従来から日本にあった)「色」と対比して、次のように示してくれています。

→「色」は「一対多 または 多対多」であるのに対し、「恋愛」は「一対一」。
→「色」は「肉体関係を肯定」するのに対し、「恋愛」は「肉体関係を排除」し「精神的関係を賛美」する。
→「色」は「結婚外」の関係であり得るのに対し、「恋愛」は「結婚内」の関係を指す。
→「色」は「非日常」の世界の出来事であるのに対し、「恋愛」は「日常の生活」ともつながっているもの。

(※「恋愛」については、現代人が使うニュアンスとちょっと異なる部分もあるように思いますが)

■日本の歴史について調べていて私が思ったのは、現在の日本は、西洋化される以前の日本のことを(日本の精神性を)「ちょっと忘れすぎ」じゃないかと思います(もちろん「昔」の日本にそのまま戻る必要はないし戻ることもできないでしょうが)。おそらく「文明開化」時に、それまでの日本の文化を否認したり抑圧するような動きが生まれざるを得なかったのでしょうが。
 心理臨床家ならわかることでしょうが、幼少時の記憶を抑圧したり否認したままの状態で、青年期や成人期を迎えた個人は、どこか脆弱性を持っていたりunhealthyな様相を呈したりすることがあります。自分のoriginをしっかりわかっていて、自分のoriginにしっかりと根ざしている感覚を持つ個人のほうが、「強さ」を備えた大人に成長することが多いと思います。
 日本という国は、「文明開化」以前に千年以上続いた自らの「精神性」の本質を、抑圧したり否認したまま、近代以降の時期を、闇雲に突き進んできているのではないでしょうか。自らの「精神性」のorigin(基盤)をどこか見失ったまま突き進んできているのではないでしょうか。
 西洋文明を導入したことはわるいことではないでしょうが、西洋文明の導入と同時に、日本に昔からあった精神性をちょっと失い過ぎた面もあるのではないでしょうか。
 否認され抑圧され萎縮してしまっている、ずっと日本にあった(今でもあるはずの)日本の「精神性」を(再度)認め、おもてに顕すことは、たぶん、現代の日本に住まうセクマイ達にとっても益になり得ることなんじゃないかな、と私は思います。

■米国人とは違い、 “I love you”「愛してる」なんて言葉がなかなか日常語にはなり得ない日本人は、西洋から輸入された「恋愛」とは異なる「お付き合い」の仕方を、(異性との間にも)同性との間にも、築き得る素地があるんじゃないのかな?
 なんてことを考えたりしました。

セクシュアル・マイノリティ事例研究会「ベーシック・レクチャー」開催2013年07月15日 17:19

7月14日(日)は、「セクシュアル・マイノリティ事例研究会」にて、「ベーシック・レクチャー」と名付けた研修会を開催。セクシュアル・マイノリティについて基本的な知識を身につけようという趣旨。
広報期間が短かったわりには、申込者が集まったと思う。臨床心理学専攻の大学院生さんが半分強。

レクシャーのお題としては、二つ。

1. 「セクシュアル・マイノリティとは?」
 講師は、森秀都さん(埼玉県立小児医療センター)。
 いつもながら、「性の4要素」をきっちりとわかりやすく説明してくれる。話が上手だなあと思う。
 
2. 「レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル(LGB)のアイデンティティ発達の過程」
 講師は、柘植道子さん(北里大学 学生相談室長)。
 いつもながら、語りが「熱い」! 英語の文献をこれだけ網羅してLGBの話ができる臨床心理士は、柘植さんぐらいしかいない?!と思うぐらい、数々の研究を紹介してくれました。


次回(8月)はまた事例検討を主とする集まりを開催する予定。


来年1月は、「アドバンス・レクチャー」と題して、おそらく、自傷や依存症をテーマに研修会を開くことになると思います。

医者(と製薬会社)の慣習 医者の文化2013年07月06日 00:15

製薬会社のMRと呼ばれる人たちとの関わりが、どうも私は苦手だったので、医者になってから十数年、これまであまり接してこなかったのだが、去年から、一つの勤務先にて、接触する必要性が出てきた。たまに会って話すようになった(MRとは、Medical Informant: 薬の情報を医師に伝える役目の人、という意味なんでしょうね)。

すると、やはり、「なにこれ??」と思う出来事が起こったり、
ほかの医者たちとの感覚のギャップを感じるので、やりにくい。


先日、製薬会社から、講演を頼まれた。
この講演の中で、その製薬会社が出している薬の副作用については、触れないようにと、言われた。
かなりビックリした。
そんなことが言えてしまう、MRという存在は、一体何なのだろう??

無論、これはその(若い女性である)MR個人の問題というよりも、製薬会社全体(ひいては、おそらく、そのような発言が言うことが許されてしまう雰囲気のある「医者―製薬会社の文化」)の問題であろう。

そのことを、ほかの同僚の医者に言っても、(やはり)それほど大きく「問題」だとは思っていないリアクション。

こういう「ノリ」には、ついていけないと思う。

やはり、(これまでと同じように)「医者」たちにはついていけないと思う。

医学生の頃から感じていた、医者的文化への「不適応」は、ずっと続くのだろう。
いまや、「適応する必要はない」と思っているが。

「医者文化」を変えることが、私の(生涯をかけて)やりたいことではないので、「医者」たちとは、離れたところで、離れた仕事をしながら、やはり私は私のやりたいことをやっていこうと思う。

「いい人」であっても、このへんを「問題」だと感じる医者は(かなり)少ないと思う。(それが私の印象。)
(むろん、ごく少数、そうではない医者もいる。)

このブログでは、いわゆる「陰謀論」と呼ばれるものまでつなげることはしないが、自分が「まっとうな感覚」だと思う感覚を維持しながら、日々の生活をやっていきたいと思う。

「日本における同性愛の歴史と現在」2013年06月02日 17:41

6月1日、駒澤大学で開催された「東洋思想と心理療法研究会」にて講演。タイトルを「日本における同性愛の歴史と現在」なんていう、大上段に構えたタイトルにしてしまい、めっちゃ後悔 (^^;
しかし、まあ、ほぼ徹夜して、なんとかきくに堪える内容には仕上がったと思う。

現代の日本における、セクシュアル・マイノリティに関する概念や考え方は、多くが「西洋」社会から輸入されたもの。
カタカナ語が多い。
しかし、「西洋」とは異なる、日本の土壌・風土というものも(「セクマイ」に関しても)あるだろうと思うので、そのへんの話をしたかった。

主に古川誠さんと前川直哉さんの研究をもとにして(あ、三橋順子さんのも)、ちょっとばかし臨床の話も加え、まとめてみた。

講演では触れなかったが、南方熊楠の、「(今でいう)セクマイ」へのまなざしは広く深い。すごい!と思う。
日本にこのような大物がいたことは(熊楠は、色々な面ですごいが、「セクマイ」についての彼の思想についても)もっともっと知られるべきだ。

【記事紹介】"I'm a Woman with Male Chromosomes"2011年09月15日 09:54

 2010年8月10日の"marie claire"に、AIS(アンドロゲン不応症)の女性の記事が掲載されていました。知り合いのYHさんが日本語に訳して下さったので以下に紹介します。
http://www.marieclaire.com/sex-love/relationship-issues/woman-with-male-chromosomes?click=main_sr
 AISは、「性分化疾患」と呼ばれる状態に至る疾患の一つです。

 ~ ~ ~ ~ ~

 「私は男性の染色体を持つ女性」

 5年生の時です。私はテレビで生理用品のコマーシャルを見ました。ほとんどの10歳の子と同じように、私も生理用品のことなんて聞いたことがありませんでした。でも私の場合、母に、あれって何?と聞くと、母は泣き始めたのです。
 皆さんは自分の娘に、その子が生理用品を必要とすることがないだろうって、どんな風に言いますか?この子には生理がない、子どもも持てない、そしてそれは、この子が他の女の子と何か違っている、ほんの一部に過ぎないんだということを。
 外から見れば、ピッツバーグの郊外でテレビを見ている小さな子どもに、他の女の子と何かが違うところなんてありません。私は昔から女の子っぽかったし、ハロウィンには、キラキラのピンク色のドレスに、フェルト生地のプードルスカートをはいて、かわいいお化粧をすることで頭がいっぱいでした。
 外見からは、私がアンドロゲン不応症、つまりAISと呼ばれる稀な身体を持っているということは分かりません。私はXY染色体を持って生まれたのです。男の子の組み合わせの。AISでは、XYの胎芽は、ペニスと陰嚢を形成するように伝える重要なホルモンに身体が反応しません。生命の一番最初の段階から、私の身体はその信号を受け取れず、クリトリスとヴァギナを持った女の子として成長したのです。でも、私の体の中のものは女の子とは違いました。(訳者注:彼女は完全性アンドロゲン不応症:CAISと思われる。CAISでは男性ホルモンを受容するレセプターがすべて働かず、身体や外性器は完全な女性として生まれるが、内性器は未分化な性腺のままとなる。レセプターが一部のみ働かないAISは、部分性アンドロゲン不応症:PAISと呼ばれ、この場合は、性別がすぐには分からない外性器を持って生まれることがある)。
 両親がこのことを知ったのは、私が6歳のときでした。シャワーを浴びているとき、足の付け根のしこりが痛み、私は叫び声をあげました。両親も医師もこれはヘルニアに違いないと、私を病院に連れて行きました。でも、外科医が手術したとき(ヘルニアはX線には映りにくく、手術で固定する必要があるのです)、しこりの後ろに腸のねじれはありませんでした。足の付根に降りはじめていたのは精巣だったのです。腹部の反対側にも、もうひとつ精巣が見つかりました。私には、ヴァギナの奥や、頚部、子宮、そして卵管がありませんでした。
1990年代、その頃はまだAISは「精巣性女性化症」と呼ばれていました。私はこの名前は嫌いです。まるで私が、男の成りそこないで、全然女じゃないように聞こえるからです。1950年代以来、もし女性がこの診断を知ったら、気が狂うかレズビアンになると信じられていました。医師は愕然としている私の両親に、ちゃんと育つし適応もしていく、でもXY染色体や精巣を持っていることを知らせるべきではないと言いました。けれども両親は私に少しずつ話をしていく決意をしていました。
 両親は私に解剖学の本を見せ、子宮は女性の中にある巣箱で、その中で赤ちゃんが育つんだと話しました。私にはそれがない、でも赤ちゃんを養子でもらって、心の巣箱で赤ちゃんを育て、家族の一員にしていくことができる、と。生理についても教えてもらい、自分にはそれがないだろうということも知りました。でも、私がもっと本当のことを知ったのは、16歳になってからでした。
 この年、私の妹が学校から生物学の宿題を持って帰ってきました。クラス全員に研究項目が振り分けられていて、妹の担当がAISだったのです。
 「お母さん、お父さん。これって絶対ケイティのこと言ってるみたい」。妹はある日の夕食時にそう言いました。「サポートグループのウェブサイトにお母さんの名前の人が出てるし」。
 両親は顔を見合わせました。ふたりからすれば、私が18歳になるまで待ちたいと思っていたのです。でも、もう後戻りはできなくなりました。両親は、私と妹弟―私より15ヶ月若い双子―に、すべてを話しました。父さんは最後に「お前が私たちの娘であることにかわりないよ」と言いました。私は、なんで私が女の子じゃないってことになるの?と思いました。私がその時に言ったのは「他には誰が知ってるの?」ということでした。
 母さんが私のような女の子のミーティングに行っていたとは知っていましたが、両親が他に何も言わなかったのは、私には子宮が欠けているだけ、ただそれだけのことだったからだと私は思っていました。でも、そのとき私はもっといろいろあるんだということが分かりました。AISというラベリングも。私の身体は症候群だったのです。そのことはもうみんな知っているようでした。医者も祖母も、おじさんもいとこも。
 私はショックで怒りが湧いてきました。両親、それに私自身の身体に裏切られたように感じたのです。今から振り返ると分かるのですが、こういう気持ちは、一体自分の何が悪いのかという恐怖、それに、誰か別の人なら自分にベストのことを決めてくれたかもしれないという、思春期という永遠の葛藤から来たものでした。それは、まだ未熟な子どもっぽい考えでしたが、私はひたすら自分の不安を何か別のものに向かわせるばかりで、その時は、まだそれほど成熟していなかったのです。食卓から走り去って、私は、学校の練習チーム用のお気に入りのチアガールの衣装を着ました。プリーツスカートに、白と黒と赤のベスト、シルバーのペレットが入った白のビニール製のカウボーイシューズ、それにたくさんのポンポン。でも、いつしか、ホンダオデッセイミニバンに乗って練習に行く時には、私はまた、ありきたりのチアガールに戻れていました。
 けれども、事はそんなに単純ではありません。高校生活は容赦のないものになりました。私はまだ、自分自身について学んでいたことを話すことばを持ち得ていませんでした。私はひどい不眠と、とてつもなく大きな不安にさいなまれ、時に鬱にもなりました。私は取り憑かれたように学校に行き、ずっと勉強ばかりしていました。ピアノを弾いて、クラシックソナタに自分を溶けこませ、私より前にそれを弾いた何千もの人々を想像し、それを慰めにしていました。だけど友達については求めても親密になりきれませんでした。仲が良かった3人の女の子といても、その関係はぎこちなく、一方的なものになっていました。男性との関係も、どうすればいいかよく分かりませんでした。一度ある男性と付き合ったのですが、彼は彼の友だちに、あの子のって指先しか入らないんだよと言っていたのです。噂は学校中に流れ、ある女の子は、ずけずけと私に、「ケイティ、あなたのこと聞いたわ。でも私ができるのは指先だけだけどね」と言ってもきました。私の人生の中でもっとも屈辱的な出来事のひとつです。
 大学生活は高校よりはいいものになりました。ひとつには、ハヴァーフォード大学1回生の時に、大好きなセラピストと出会えたからです。私は中学校の時から何度かカウンセラーと会っていたのですが、この女性のカウンセラーは空想好きで、私がそれに傷つくと、私に怒りを向けていたのです。同じ年、私は大学のゴスペル部に入りました。ミュージカルが好きだったんです。そしてそこで最高の友達と出会えました。ショーに出ていたヒラリーです。私は自分の身体に少しずつ慣れてきたように感じていました。そうして、2回生のハロウィンパーティーで、サムと出会ったのです。
 私はディスコボールに扮装し、彼はエスキモーの格好をしていました。私が友達といた部屋に、彼が酔っ払った新入生を運んできて、私は彼とそのまま親しく話をしたのです。ええ、とても屈託なく。身長6フィートでグリーンブラウンの眼、そして長いまつげ。それにエネルギーがあって、陸上部のスターでした。彼がチョコレートをかけたイチゴをくれて、マリリン・モンローの映画の話をしていたのは、実は私を口説いているんだって気がついたのは、話し始めて少し後になってからでした。
 それから1ヵ月後、大学近くの彼の家で私たちは二人で過ごしていました。前のふたりのボーイフレンドには自分のAISのことを言っていたので、私はそのいつもの大げさな話を始めました。話の途中で、サムは私を止めました。彼はもう知っていたのです。陸上部のチームメイトが、練習の後のロッカールームで、彼に声をかけてこう言っていたのです。「お前、ケイティ・バラッズと付き合ってんだってな。彼女本当は男だっていうのマジ?」。サムは、そのうち私に心の準備ができたら話してくれるだろうと思っていたのです。
 サムの話を聞いて、私は取り乱して泣き始めました。私の顔は真っ赤になっていました。陸上のトロフィーとフィラデルフィア・フィリーズの三角旗に囲まれた、彼の子どもの頃の部屋のベッドに腰かけて、私はまた他の人が私が知っている以上のことを知っていたのだと思いました。でもサムはただ私を抱きしめて、こう言ったのです。「僕は今まで君ほどに女性にドキドキしたことはなかったよ。この気持ちはそんなことと関係ない」。これは最高に完璧なことばでした。
 去年サムがフィラデルフィアの公園でプロポーズし、私たちはニューイヤーズの夜に結婚しました。私はそれまでずっと結婚を夢見ていましたが、それは決して叶うものではありませんでした。でも今、私たちが取り組もうとしているのは、ただひとつ。家族を持つということなのです。養子をもらうことも代理母出産を使うこともできましたが、私の精巣は、癌の恐れがあるので、大学入学前の夏に取り除かれ、赤ん坊を作るための遺伝子素材を持っていないということが、今の私にとっての最大の困難のひとつです。でも、「自分が欲しいものは自分で分かってるって思ってた。でも僕が欲しいものは君だけなんだって気づいたよ」とサムが言ってくれるように、私が今平穏でいられるのは、そのほとんどがサムのおかげなのです。
 私たちはセックスもできます。子どもは選択肢になりませんが。私のようなヴァギナを表す専門用語は、頸部や子宮に届いていないことから、「blind pouch(盲嚢)」と言われます。多くのAISの女性のように、大きくなってからセックスが心地いいものになるよう 、私も小さい時から、拡張器―大きくて、遊び用ではない人工ペニスを想像してください―を使っていました。エストロゲンクリームをそれに塗って、1日に30分ヴァギナに押し込んできました。(私は他の女性と同じ量のエストロゲンを生成しているのですが、そのクリームは、組織を広げてくれるのです)。そうして私は他の人と同じような素晴らしいセックスライフを送っています。
それに私は、AISのコミュニティに参加しています。私が体験してきた痛みで他の人を支えることができるなんて、信じられないほど素晴らしく思えます。大学に入る前の夏にAISサポートグループに入ったのですが、そこではじめて、AISに呑み込まれるのではなく、自分の人生の一部にすることができると思え、それまで感じてきた孤独が鎮まりました。AISは20,000人に1人が発生しますが、性分化疾患は2,000人に1人の赤ちゃんに発生するため、このような問題は皆さんが考えている以上に一般的なことなのです。南アフリカの陸上競技選手、キャスター・セメンヤが、去年、性別テストを受けることになり、それがニュースになった時も、彼女の状態は正確にはAISではないように思いましたが、私たちのサポートグループは彼女に連絡を取りました。
 最終的には私は、私のような人の支援者になれればと思っています。医師たちがこのようなケースをどのように扱っていくのか、そのあり方を変えていくことに納得してもらうには、同僚にでもならない限り難しいと思い、私は今医大で生命倫理学の修士を取ろうとしているところです。学位を取ることで、メディカルコミュニティで評価されるような行動が起こせればと思っています。それが私の義務なのだと。生理用品のことを話すことは、もう、悲しいことではありません。(日本語訳:Y.H.)


I'm a Woman with Male Chromosomes

The year I was in fifth grade, I saw a television commercial for tampons. Like most 10-year-olds, I'd never heard of a tampon. But when I asked my mom what one was, she started crying.

How do you tell your daughter that she's never going to need tampons? That she won't get her period or have babies, and that those things are the least of what sets her apart?

From the outside, there was no sign that the little kid watching TV in a suburb of Pittsburgh was so different. I've always been girly — obsessed with dresses, sparkles, and the color pink, donning felt poodle skirts for Halloween and loving makeup.

What isn't obvious is that I have a rare condition called androgen insensitivity syndrome, or AIS. I was born with XY chromosomes, the combination found in boys. With AIS, an XY embryo doesn't respond to the crucial hormones that tell the penis and scrotum to form. At the earliest stage of life, my body missed those signals, and I developed as a girl, with a clitoris and vulva. But what's inside me doesn't match.

My parents learned this when I was 6. That year, I collapsed in the shower with a painful lump in my groin. Convinced I had a hernia, my parents, both doctors, rushed me to the hospital. But when surgeons operated (a hernia is tough to X-ray and needs to be fixed surgically), there was no twisted loop of intestine behind that bump. It was a testicle that had started descending. Across my abdomen, they found another one. The upper portion of my vagina, and my cervix, uterus, and fallopian tubes were missing.

In 1990, AIS was still called "testicular feminization," a name I hate. It makes me sound like a failed man, not a woman at all. The belief since the 1950s was that if a woman knew she had this, she'd go crazy or become a lesbian. The doctor told my stunned parents that I could grow up normally, even adopt, but I shouldn't know I had XY chromosomes or testes. My parents decided to tell me gradually.

They showed me an anatomy book and told me the uterus was the nest inside a woman where the baby grew. I didn't have one, but I could adopt a baby that would grow in my heart and be part of my family. I learned about periods and knew I wouldn't get them, but I thought that was it — until I turned 16.

That year, my sister came home from school with a biology project. Everyone in her class was assigned a condition to research, and she got AIS.

"Mom and Dad, it sounds a lot like Katie," she said at dinner one night. "And there's a woman with Mom's name on the support group website."

My parents looked at each other. They'd wanted to wait until I was 18, but there was no going back now. They told me and my brother and sister, twins who are 15 months younger than I am, everything. My dad finished up, saying, "You're still our girl." Why wouldn't I be a girl? I thought. What I said was, "Who else knows?"

My mom went to meetings for girls like me, I knew, but I'd assumed my parents hadn't told me anything else because that was all there was to it — I just lacked a uterus. Now I realized there was a lot more, even a label: AIS. What I had was a syndrome. Everyone, it seemed, was already clued in: my doctors and grandmother, aunt, and cousin.

I was devastated and angry, feeling betrayed by my parents and my own body. Looking back, I know those emotions came from a fear of what was wrong with me, plus the eternal conflict of adolescence: someone else deciding what's best for you. It was a crappy feeling, but I've always been great at channeling my anxiety into something else, and at that moment, I was going to be late for practice. Leaving the table, I donned my beloved pom-pom-girl uniform — a pleated skirt and vest in white, black, and red; white vinyl cowboy boots with silver paillettes; and enormous pom-poms — for the school drill team. As I got into my Honda Odyssey minivan and drove to practice, I was just another pom-pom girl again.

But it wasn't that simple. High school was grim. I didn't have the vocabulary to talk about what I was learning about myself. I had horrible insomnia and tons of anxiety that sometimes veered into depression. I was super-compulsive about school, spending hours studying. Playing the piano, pouring myself into classical sonatas, thinking of the thousands of people who'd played them before me, was comforting, but in terms of friends, I was needy — so much so that relationships, even with the three girls to whom I was closest, were bizarre and one-sided. Getting validation from guys didn't work, either. Once, I hooked up with a guy who told his friends he could only get the tip of his finger inside me. The rumor went around school, and one girl even had the nerve to say, "Katie, I heard something about you ... but I can only put the tip of my finger on it." It was one of the most humiliating moments of my life.

College was better, partly because I found a therapist I loved my freshman year at Haverford. I'd seen counselors on and off since middle school, but this woman was fantastic and got angry for me when I felt hurt. The same year, I joined the campus cast of Godspell. I love musicals, and I met my best friend, Hilary, in the show. I was starting to feel comfortable in my own skin. Then, on Halloween of my senior year, I met Sam.

I was dressed as a disco ball and he as an Alaskan snowshoer. He pushed a drunk freshman into the room where I was sitting with friends and followed him in to chat us up — yes, very slick. Six feet tall with greenish-brown eyes and long lashes, he was in great shape, a track star. We started talking, and before I knew it, he was courting me with chocolate-covered strawberries and Marilyn Monroe movies.

A month after that, we were holed up in his family's home near campus. I'd told two previous boyfriends about my AIS, so I launched into my usual spiel. Midway through, Sam stopped me — he already knew. A track teammate had approached him in the locker room after practice and said, "I heard you're dating Katie Baratz. Is it true she's really a guy?" Sam had known I'd tell him when I was ready.

At this revelation, I started sobbing hysterically, my face turning bright red. Perched on his bed in his childhood room, surrounded by his track trophies and Phillies pennants, I realized that, once again, someone else knew more than I did. But Sam just held me, saying, "I've never been as excited about a woman as I am about you. This has nothing to do with that." It was the most perfect thing he could have said.

Last year Sam proposed, in a park in Philadelphia, and we're getting married on New Year's Eve. I'd always daydreamed about getting married, but it was never a given. Now the only thing I see us struggling with is having a family, although we could adopt or use a surrogate. My testes were removed the summer before college, in case of cancer, and not having genetic material to contribute to a baby is one of the hardest things for me. But as Sam says, "I thought I knew what I wanted, but I realized all I want is you." A lot of the peace I have now is due to him.

And we can still have sex, even if kids aren't an option. The technical term for my vagina is a "blind pouch," because it doesn't connect to a cervix or uterus. Like many AIS women, when I was younger, I used a dilator — picture a big, not-fun dildo — so that sex would be comfortable when I got older. I'd smear estrogen cream on it and press it into my vagina for 30 minutes a day. (I produce the same amount of estrogen as any other woman, but the cream helped the tissue stretch.) Now I have as wonderful a sex life as anyone else!

I'm also really involved in the AIS community. It feels incredible to help others with the pain I went through — it was only after finding the AIS Support Group, the summer before college, that I realized AIS could be part of my life without dominating it, and that the loneliness I'd felt abated. AIS affects one in 20,000 people, but disorders of sex development occur in one in 2,000 babies, so issues like this are more common than you'd think. When Caster Semenya, the South African runner who went through gender testing last year, made the news, my support group reached out to her, even though her condition doesn't sound exactly like AIS.

Ultimately, I want to be an advocate for people like me. It's hard to convince doctors to change how they handle such cases if you're not their peer, so I'm in med school, and getting a master's in bioethics. I hope my degrees will give me street cred in the medical community, since this is what I'm meant to be doing. Talking about tampons doesn't have to lead to tears.